HISTORY

  • 家計を支えるために夢をあきらめて就職の道へ

    私がエステティックの世界に入ったのは、今思えば最愛の父が脳腫瘍で倒れたことが大きなきっかけだったように思います。それは私がまだ19歳で、養護教諭になることを目指して専門学校に通っていた頃のこと。幼い頃から目の中に入れても痛くないというほど父に可愛がられて育ち、成長してもなお自他ともに認める父親っ子だった私は、父の生死を分ける一大事を目の前にして、学業どころではなくなってしまいました。
    また日を追ううちに、今度はだんだん家計のことが心配になりはじめました。一家の大黒柱だった父が働けないという状態がこのまま続けば生活が不安定になり、父だけでなく母やまだ高校生だった弟、家族全員が共倒れになってしまう。その前に私がこの状況を何とかしなければ……と。
    そこで、少しでも家計の支えになるのなら、と学校をやめ、自ら進んで働きに出ることにしたのです。というのも、専業主婦の母はもともと病弱でそれまで仕事などしたことのない人でしたし、私も子供の頃からなるべく早く社会に出たい、と思っていたこともあったからです。学校をやめたのは、私の通っていた看護学校が全寮制で、そこにいる限り父の側で面倒をみることができない、というのも大きな理由でした。
    そういうわけで、私はさっそく就職活動へ。いくつかの選択肢のなかから決まった職場は美容院で、国家資格試験のある美容師見習いとして働くことになりました。先々に役立つよう手に職をつけることができ、かつ実践しながら少しでもお給料がいただける。そんな当時の私には願ってもないお仕事だったからです。もちろん、高校生くらいの頃から、ファッションやヘアメイクといった華やかな世界への憧れがあったことも決め手でした。
    そんな憧れの世界に対する好奇心や家族を支えたいという思いは、私を仕事に打ち込ませる大きな原動力となり、私は日を追うごとに働くことが楽しくて仕方がなくなっていきました。やがて働き始めてから約2年が経ったころ、さらに女性の美を磨く技術を究めたいという欲が出はじめ、ヘアメイクだけではなく念願のエステティックも学ぼうと、業界の最大手のひとつであるTBCへと転職することに。この頃には父の具合もすっかり回復していたので、心おきなく自分自身のやりたいことに向かって突き進んでいくことができたのです。
  • エステの世界との出会いで新たに掴んだ希望

    入社したTBCでは、エステティックの知識や技術、お客様へのサービスのあり方、そして経営のことetc.……を徹底的に学び、実践することとなりました。今振り返ってみると、現在の私の仕事の基盤には、この時に身につけたものが大きな糧となっているということに気づきます。とにかく当時は勉強、勉強の毎日。そのうえ現場の実践だけでは飽き足らず、仕事をするかたわらでヘアメイクアップのスクールに通い、美容師の国家資格をとるための勉強も……と、かなり意欲的に頑張っていました。おかげで毎日の睡眠時間が2~3時間しかとれないほどハードな生活でしたが、それでも精神的に充実していたので全く疲れることなどなかったのです。それどころかますます気力がみなぎって、それが仕事にも良い影響を及ぼすという好循環を生み、TBCに入社してから半年で、銀座店での個人の売り上げトップという成績を得ることができました。また、それから約1年半後には前橋店の店長に就任し、その半年後には関東エリアの全店舗の中でトップの売り上げを記録。頑張れば頑張るほど結果がついてくる仕事に対して、次第に大きな手応えを感じるようになっていきました。
    そうして自分の仕事に自信がつきはじめ、経営というものの面白さに目覚めはじめてきた頃、折よく独立のお誘いを受けたこともあり、26歳のときに地元の群馬でエステティックサロンを開業することに。その年齢には見合わないほどの借金もしましたが、当時の私は若かったので怖いもの知らず。父の友人である経営者の方々が周りに多く、良いアドバイザーになってくれていたことも追い風となりました。そして、持ち前のタフさを武器にしてTBC時代のような頑張りを続けるうちに、その事業もまた軌道に乗っていきました。そんな頃、仕事を通じて運命の出会いをすることに。それは、後にお付き合いをすることになる彼との出会いでした。
  • 運命の彼との出会い。そして突然の別れ

    その彼はなぜか出会った頃から、私を結婚相手にしたいと思ってくれていたようでしたが、私のほうはまるで異性だと意識することはありませんでした。でも、何度か仕事で会って時間を長く共にしているうちに、彼の人柄の良さや父を彷彿とさせる落ち着いた物腰に、次第にひかれていくようになったのです。彼もまた経営者であり、お互いに共有できる部分が多かったことも魅力だったかもしれません。いつしか自然に結婚を前提としたお付き合いが始まるようになりました。というわけでこの頃は、彼との穏やかで幸せな生活を営みながら、サロンをさらに拡大して……という20代後半の女性らしい夢と希望に溢れた、全ての運が上向いているような時期でした。
    ところが、彼との結婚を目前に控えたある日、その夢や希望が一気に覆されるような出来事が起こりました。彼の突然の死でした。心筋梗塞だったのです。まだ38歳という若さでの早すぎる死に、私はただ唖然とするばかりで、しばらく現実を受け止めることができませんでした。それも、将来の幸せなビジョンに向かって意気揚々と前進していた最中に、いきなり愛する彼を失い、将来の夢を失うとは。まさに青天の霹靂とはこのことでした。やがて少しずつ現実を受け入れるようになってくると、悲しみの感情が心の底から湧きあがってきて、どうにもならないほど私を苦しめるようになりました。そして、彼が死んでしまったのに何故私は生きているんだろう。私もいつ死んでもいいと、思い詰めるような日々を過ごしていたのです。
    それで、こんな状態ではもう仕事も続けられない。もうやめてしまおうかと思ってはみたものの、現実を振り返るとやめるにやめられない事情があったのも事実でした。
    というのも、ちょうどその頃に彼と共同経営で、2店舗目のサロンをオープンさせようと準備をしていたところで、手元にはそのために各所から借りた多額の借金が残っていたからでした。もちろん、従業員たちの生活を保障していかなければという経営者としての責任感や、憔悴しきった私を心配して、一緒に頑張ろうとサポートを申し出てくれた仕事仲間たちに応えたいという思いも強かった。そこで結局、頓挫しそうになっていたサロン計画を再開させることにしたのでした。
    そうしていざサロンを開店してみると、これがまた予想を上回る大反響を得るお店になったのです。連日のように沢山のお客様にお越しいただき、また以前のTBC時代のような目まぐるしい毎日が始まりました。私は彼がいなくなったという喪失感を仕事で埋めるようにして、とにかく無我夢中になって働きました。そのおかげで、最初のサロンを始めてから約3年でさらに2店舗を増やすことができ、その間に多額の借金も余裕で返済するほどまでに利益を計上。こうしてどんどん満足のいく結果を積み上げていくことになったのです。
  • 彼とのコンタクトで開いた「見えない世界」への扉

    そんな風に仕事では成功していったものの、プライベートな時間に戻れば、寂しさでいっぱいになっている自分がいました。考えるのは、ただただ彼に会いたいということばかり。次第にその思いが高じて、これまで占いとか霊能力とかいったような見えない世界のことなどまるで興味のない超リアリストの私でしたが、人間は死ぬとどうなるのか? 死者とコミュニケーションをとることはできないものか?などと非現実的なことを考えるようになっていったのです。
    そんなことを思っていた矢先に、私の身の回りに不思議なことが起こり始めるようになります。たとえば、家の中のマッサージ器がスイッチも入れていないのに突然動き出したり、オルゴールが鳴り出したり。座っているのに体が強い力で引っ張られるようにして動いたりしたこともあります。そういったこれまでになかった出来事の数々を目の当たりにしているうちに、私は彼の存在に「気付く」ようになっていきました。すると、そのうちそんな私に呼応するように、彼がコンタクトを取ってくるのがよりはっきりと分かるようになったのです。それは、目をつぶると文字を見せられるという方法が主でしたが、時には口を開くと自然に言葉を発するよう仕向けられたり、自動書記でメッセージを書かされたりしたことも。それが面白かったのと、彼がそばにいるのが嬉しかったのとで、オフの時間といえばこの行為に没頭するようになっていきました。
    実は、彼は生前に見えない世界のことや宇宙のことにかなり興味を持っている人でした。彼と一緒にいた頃には目にも留まらなかったけれど、彼の死後に起きる不思議な出来事の数々の意味を知りたいという思いでいっぱいになったころ、ロバート・モンローが記した「体外への旅」を彼の残した本の中に見つけました。読み進めてみると、そこには今までの自分の価値観にはなかった驚きの世界が広がっていました。人は亡くなっても魂として存在し続けるとか、この世とはまた異なる次元があるとか……今までの彼とのコンタクトを裏付けるようなことが書かれていたのです。
  • 彼との本当の別れによって出会った「神事」

    それから2年以上経過した頃、知り合った何人かの霊能者の先生が、「今はあなたの体を彼と共有している状態。そうすることで、あなたの体は彼によって他の霊から守られてはいるけれど、いつまでもその状態でいるのは2人のために良くない。彼にはいくべき世界があるし、あなたもそのままでいたら体が消耗してしまう。あなたが死ぬまで彼と一緒にいたとしたら、2人とも成仏できなくなる」と同じように言うのです。
    それを聞いて、寂しいからと、いつまでも一緒にいてはいけない。お互いの世界でしっかりと為すべきことをやって、いつか私も魂になったら、その時にお互いに「よく頑張ったね」と喜んで会えばいい。そのためには、彼にあの世で成仏して高い所に上ってもらい、また私はこの世で魂を磨いて昇華していかなければいけないのだ、ということに気付いたのです。そんなわけで、メンター的な霊能者の先生方のお導きもあり、彼は無事に光の世界へ。そして彼と本当の意味でお別れをした私は、「これからは彼にまた会う日まで、この体を使って社会のため、人のためになるような仕事をしていこう」と誓ったのです。同時に、彼の供養を続けるために仏事を、さらには彼と自分を共に浄化して魂ごと昇華していくために神事を、その当時に御縁のあったメンターの方々から学びながら独学で行っていくことも決意したのでした。
    そうして私の心の中で新たに切った人生の再スタート。表向きは何も変わらないけれど、以前とは全く異なる自分がそこにいました。かなり現実的でマテリアルだった私が見えない世界や神仏というものを意識するようになり、いわばスピリチュアルな人間へと変換したのです。おかげで今までになかった感覚、いわゆる気=エネルギーへの感応力がつき、それが施術をするうえでとてもプラスになりました。というのも、一目見ただけでお客様の心身の状態が分かるので、かゆいところに手が届くように、お客様の心と体が本当に望んでいる癒しを届けることができるからです。実際に施術を受けたお客様には前にも増して喜んでいただけるようになり、それが嬉しくて、もっとこの感覚を磨いてエステティックに生かしていきたいと思うようになりました。そして、お客様により美しく、健康でハッピーになっていただけるような施術をするにはどうしたらいいだろう? それには、まず自分自身がクリーンな状態になってお客様に向き合い、それぞれに足りないエネルギーをチャージできるようになること。つまり、まずは自分がパワーアップしていくことだと思い至り、そのためにもいっそう見えない世界のことを追及するようになっていったのです。いわゆるパワースポットとされているような聖地を巡り、正しい作法のもとで誰かの病気を治すための御祈願をしたり、自分の体に聖地のエネルギーを受けてサロンにいらしたお客様にそれを循環させたりと、「人の役に立つ」ことを主眼に置いた自分流の神事を確立していきました。
  • 再び訪れた大きな試練と聖なる山で得た「気付き」

    ところがそんな私に再び試練が襲ってきました。母が持病の肝炎を悪化させて帰らぬ人となってしまったのです。彼が亡くなってから五年が経ち、ようやく悲しみが癒えてきたところでした。これからは私を見守ってくれていた両親のためにもっと親孝行をしよう。そう考えて仕事の規模を縮小して共に過ごす時間を作り、家族のためにと新しい家を建てていた矢先のことでした。そして、さらに追い討ちをかけるようにその二年後には最愛の父も長年患っていた病気が元で他界。この短い期間に、婚約者、母、父と大事な人を続けざまに亡くすなんて……。さすがの私もこれで「全てが終わった」と、今度ばかりは立ち直れないというほどの絶望の淵に立たされることになったのです。もちろん、スピリチュアリティへの理解を深めてきたおかげで、目に見える世界だけが全てではないし、肉体が亡くなっても魂は生き続けるということは分かっていました。でもだからといって、やはりこの世から大切な人がいなくなるということへの悲しみが消えるわけではありません。 目の前の現実があまりに苦しいばかりに、「人のために、社会のためにという思いを忘れずに一生懸命に働いて、正しい道を歩んできたはずの私が、どうしてこんなに辛い目にばかりあわなければいけないんだろう? 神様が本当にいるのなら、いっそ自分の命も奪ってくれたらいいのに」と、神仏の存在さえ疑うような自暴自棄の日々を過ごしていたのです。
    そんなある日。どうにも浮上しない自分の心を慰めるために、私は思い切って再び聖地に向かうことにしました。行先はその時々に私の中に降りてくる閃きのようなものに従って決めるという、自由気ままな一人旅。西国の観音霊場に始まって、天川、九州、伊勢etc.……。あちこちを巡り歩いた末に、知り合いの方に導かれて辿り着いた場所がありました。奈良の山奥にある洞川という小さな村でした。そこは修験道の行者が厳しい修行をするために、全国から精鋭が集まってくるという日本有数の行場。普通なら知人でもいない限り知る由もないようなところです。ところが私は初めて訪れる場所にも関わらず、その行場を見た途端に「ああ、ここだ」と不思議と懐かしさや安堵感を覚えたのです。というのは、彼が亡くなった直後から何度も夢に出てきたのと同じ光景が目の前に広がっていたからです。私は自分の来るべき場所に来たんだと直感で感じました。それと同時に、もしそうであるならば、私がここに来たのには、一体どんな意味があるのだろう? という疑問も湧いてきたのです。そして、冷たいこの場所の滝の水を前にして手を合わせていると、「私は生かされていたことに感謝するのを忘れていました」という言葉がふいに口をついて出てきたのです。その思いがけない言葉に驚きながらも、「今まで早く死にたいとばかり思っていたけれど、天に与えられていた命を粗末にしようとしていたなんて、何と高慢なことをしていたんだろう」と、はっと目が覚めたのです。それはまさに神からの啓示を受けたような瞬間でした。そして、これまでに自分の身の上に起きてきたことは、もともと運命の筋書きにあったことだったのかもしれないと、何故か一気に腑に落ちたのです。すべてが神の掌の上にあるのなら、もう何も怖いことはない。私は私の運命を受け入れて、自分らしい人生を全うするだけ。では自分らしい人生とは何か? それは、今の私にとってはやはりエステティックの仕事を通して、人のお役に立っていくことなんだ、と。
  • 多くの人に癒しを与える使命を全うしたい

    その経験をきっかけに、私はいただいた命のある限り、再び前を向いて精一杯生きていこうと決意。そして、彼が亡くなった後に少しずつ立ち直っていった時のように、またエステティックの仕事に邁進するようになっていきました。同時に、私に生きる力を与えてくれた洞川の行場にも、折を見ては修行に入るようになっていったのです。そのおかげで私は以前よりもいっそう心身ともにエネルギーが漲り、それを反映させた施術が評判を集めることに。美容だけでなく、体の不調を抱えるお客様からの相談も増えるようになっていきました。そのうちに、そんなお客様の悩みを何とかして改善させたいという思いが高じて、よりパワフルなエネルギーを循環できるようになりたい、そのためにも神事を究めたい、と思い至るように。そこで、仕事をひとまず信頼できるスタッフに任せて、数年ほど本格的な行の道に進んだこともありました。行場での生活は辛い経験でもありましたが、神の存在を常に身近に感じることができるというのは甘美なことでもあり、お行に夢中になっていたときには本来の目的を忘れて、ここでこのまま一生を終えようと思ったこともあったほどでした。でも、やはり私は現実の世界に戻ろうと決めて今に至ります。なぜならその修行の間に、私の使命や神という存在について、また神事とは何かなど、自分なりに悟ることができたからでした。
    その悟りとは、私の使命=生まれる前から神と約束してきたのは、この身を通して人に奉仕をすることであり、それが私の魂の喜びであるということ。そして、その使命にそって生きている限り、例え手を合わせていなくても、どこにいて何をしていても、それが本当の神事なのだということでした。つまり、私や行者の方々に限らず、自分の使命を全うしている人は誰でも皆すでに神事をしているのと同じであり、私の場合にはそれがやはりエステティックの仕事だったということなのです。
    こうして今に至るまで紆余曲折の道のりではありましたが、その結果、私の使命ともいうべき仕事に辿り着き、その必然を魂から理解できたというのは幸せなことだと思っています。これからもいかにお客様をより健康に、より美しく導くためのお手伝いができるかを第一に考えて、ますますメイプルのエステティックを進化させていくつもりです。そのために、施術のさらなるパワーアップを図っているのはもちろん、日本の各地に癒しの場所を作るという新たな構想もいま練りつつあるところです。それを皆さまとメイプルで共有できることを心から楽しみにしております。

    Text by 河野真理子